【これぞ指導者】齋藤一雄 監督!SPORTSウォッチャーでみた日体大相撲部
2020年4月25日に放送されたSPORTSウォッチャーで、日本体育大学相撲部の活動を追うコーナーがありました。
その番組をなんとなく観ていたのですが、いつの間にか夢中になっている自分が。。。
学生力士が熱く、ひたむきに頑張る姿、そして監督の愛に満ちた人格に心を打たれました。
上原浩治×阿部慎之助の対談に惹かれて番組を観ましたが、日体大相撲部の方が心に残りました。(笑)
監督の登場シーンが圧巻
学生力士が稽古に励んでいるところに、監督の齋藤一雄さんが登場します。
齋藤監督の登場シーンには驚きました。。。
監督が道場に入ると、近くにいた部員が中腰になります。
監督はその部員の肩に手を置き、履き物を脱がれ、土俵より一段上がった畳に座られました。
その履き物を学生力士が拭いてきれいにしていました。
部員たちのこの気の配りよう・・・。
この時点では、「よっぽど恐い監督さんなのかな・・・」と私はビクビクしてしまいました。。。
この齋藤一雄 監督、とても凄い方です。
学生時代にアマチュア横綱になった経歴をお持ちです。
日体大の監督に就任されてからは、日体大を4度の全国優勝に導き、角界にも9名の力士を輩出しているそうです。
随所に見られる監督の器の大きさ
この齋藤監督からは随所で器の大きさ、真の優しさを感じられました。
軽量級の部門の大会でも
相撲というと、体重100キロは超えるであろう大きな体の力士をイメージしていたのですが、軽量級の部門もあるようです。
その軽量級の大会で齋藤監督は、力士を呼んでは、声をかけながらまわしを締め直してあげていたり、水を飲ませてあげていたりと、気遣いながら、勇気づける言葉をかけていました。
その中でも決勝に進んだ田畑選手に対しては、
「好きなことやれ。負けたら何にもならない。勝つしかない。」
と学生を信頼した力強い言葉が。
こんなストレートに熱い言葉を掛けられたら、闘志に火が付くに違いありません。
その力士は見事優勝し、監督の期待に応えました。
勝った瞬間、監督もガッツポーズ。
「これは凄いです」と満面の笑みで仰る監督。
教え子の勝利を心から喜ぶ姿に、私の心も熱くなりました。
学生力士が駆け込む監督室
日体大相撲部には、国体で史上最年少優勝を成し遂げた超逸材がいるようです。
その名も、中村泰輝さん。
大学卒業語の角界入りはほぼ確実と見られているとか。
そんな才能豊かな力士も悩むことが・・・。
その彼が向かったのは監督室。
監督の前に座り、「最近上手くいきすぎていて、どこかでつまずくんじゃないかとの恐
怖感があって、、、」と心証を打ち明けます。
すると齋藤監督は、
「思い切ってやれ。そうしないとお前のいいところも出ないし、負けたって誰も責めやしない。自分に負けないようにしっかれやれ。」と。
なんて大きな心を持った監督さんなのでしょう。
先ほどもそうでしたが、この監督に言葉はストレートで力に溢れています。
監督室にはいつ来ても良いとか。
学生と監督の確かな絆が見えました。
【空前絶後】新庄剛志の伝説集~輝くエピソード、逸話
先日、ジャンクスポーツを見ていたところ、新庄剛志が出演していました。
「スポーツ奥の奥 新庄剛志SP」というコーナーがあり、新庄にまつわる数々の噂について、本人から語って貰うというものでした。
新庄って、凄かったんだ・・・あんな野球選手いませんよね。。。
まずは美容事情(笑)
まず序盤で、歯を全て抜いてインプラントにして、「2000万かかった」と驚きの発言。更に、「こないだ整形してきました」とも。。。
「目やりました。糸入ってます。」序盤からアクセル全開です。(笑)
超人的な外野手
面白く、派手な演出好きな新庄ですが、野球の実力は本物です。
現在の野球選手の中にも新庄の守備に憧れている選手が多いとか。
新庄によると、「イチロー君も松井君も僕の守備に憧れて・・・」とも。
メジャーでも一流の守備
メジャーから帰ってきた青木によれば、メジャーのチームのコーチが新庄のことを「メジャー屈指の外野手、5本の指には絶対入る」と言っていたそう。
センターの新庄がレフトの球を奪い取り、ホームに一直線に送球してランナーをアウトにする映像が流れ、その肩の強さと正確なコントロールに感動を覚えました。。。
メジャー屈指の外野手、、、本当に凄かったのですね。。。
捕れる球は新庄とれ
阪神時代、センターを守っていた新庄。ライトでもレフトでも、捕れる球は新庄が捕れと言われていたのは本当ですか?という質問に驚きの答えをします。
新庄「ライトでもレフトでもじゃなく全部」「内野も全部」だそうです。
新庄談ですが、内野でもキャッチャーフライでも全部捕れと野村監督から言われたそうです。それは本当でしょうか??笑
センターからサインも出す
阪神にいた頃。ピッチャーとバッターの調子の良さはセンターが一番見えるという理由から、新庄がキャッチャーへのサインを出していたことがあるとか。
これまた、本当でしょうか・・・?
新庄なので本当かもしれません。
二刀流やっていた
二刀流といえば、メジャーで連日大活躍の大谷翔平ですが、実は新庄も二刀流だったことがあるようです。
当時の阪神の監督だった野村監督が、「うちの投手の誰よりも速い」と新庄の強肩ぶりに驚いたそうです。
そして1999年3月の対 巨人のオープン戦で登板し、巨人打線を三者凡退に抑えています。
ですが、この試合で足を痛めてしまい、新庄二刀流プランは無くなってしまいました。
新庄いわく、ピッチャーをしてみて面白くなくて、足が痛いと言ったのは嘘だったそうです。。。笑
(簡単に抑えられるからという理由でピッチャーは面白くなかったとか。。。)
サヨナラ満塁ホームランの取消し
2004年。この年は、1リーグ制構想に選手会が反発し、選手会は前代未聞のストライクを断行しました。
野球界に暗雲が立ちこめる中、スト明けの最初の試合が日ハム VS ダイエー戦でした。
ストの暗い雰囲気を吹き飛ばすような点の取り合いになり、12対12で迎えた9回裏、2アウト満塁の場面で新庄が打席に。
この場面で新庄は劇的なホームランを放ちます。
ここで打順がまわってきて、ホームランを打てるあたりが、やはりスターですね。
しかし、ここで終わらせないのも新庄なのかもしれません。
前を走っているランナーと抱き合い、くるっと反転してしまったのです。
これが、前のランナーを追い越したと見なされ、この感動的なホームランは取消しに。
サヨナラヒットになってしまいました。。。
オールスター史上初ホームスチール
2004年オールスターゲームの第2戦でのこと。
打者が空振って、キャッチャーがピッチャーに返球したその瞬間、3累にいた新庄がホームへダッシュ。
これが成功し、オールスター史上初の単独ホームスチールとなりました。
この時のバッテリーは、新庄の元チームメイトでした。新庄は二人のくせ(そのピッチャーはゆっくり投げると浮いてしまう、など)を知っていて、しっかり計算した上でのホームスチールであったそうです。
敬遠をサヨナラヒットに
新庄といえば、これを思い浮かべる方は多いかもしれません。
1999年の対 巨人戦でのことです。この試合は4対4で延長12回までもつれます。
12回裏、一死一三塁の場面で新庄に打順がまわります。この日の新庄は3安打と絶好調です。
巨人はこのピンチの場面で敬遠を選択。
しかし、その2球目。
新庄が一歩踏み込んで、敬遠球をバットに当てます。
これが、三遊間を抜けてサヨナラヒットとなり、阪神が勝利しました。
広島戦で敬遠にあった時に、「打てるのでは無いか・・・」と感じ、コーチと相談して、敬遠を打つ練習をしていたそうです。
(そのコーチは敬遠球をホームランにしたことがあるとか。。。)
始球式で打ち返す
野球の始球式といえば選手は空振りをするのが通例ですよね。
有名人が球を投げて、どんなにひどい球でも選手は空振りをします。
しかし、新庄はきっちりと打ち返してヒットにしてしまいます。。。
現役復帰宣言!
そして、なんといっても最近の話題はコレ!
2006年に引退してから、13年の時を経て、現役復帰を宣言しました。 年齢は47歳です。
トライアウトを受けた結果、残念ながらプロの球団からは声が掛かりませんでした。
が、たとえ新庄のファンではなくても、野球ファンではなくても、多くの方が応援したはずです。
そんな魅力を改めて思い出させてくれました。
オススメ
●最強の身体能力!室伏広治が残した伝説集
【独走家】ヴァシル・キリエンカってどんな選手??
スカイに所属する、ヴァシル・キリエンカという選手をご存知でしょうか。
淡々と、無表情で高出力を維持する、独走が得意な選手です。
個人タイムトライアルで、世界チャンピオンにもなっています。
この、キリエンカはどのような選手なのでしょうか。
ルーツはトラック競技
現在は専ら、ロードレースで活躍するキリエンカですが、キャリア初期はトラックで実績を積んできた選手です。
2005年のトラックワールドカップでは、ポイントレースで、2006年にはスクラッチで優勝を果たしています。
一流のスピードを備えている選手であることは、明白のようです。
2008年、飛躍の年に
2007年から、キリエンカはティンコフクレジットシステムに移籍しています。
ブエルタ・ア・アルゴスでのステージ優勝など、ロードレースでも着実に実績を積んでいきました。
そして、翌2008年。この年はキリエンカにとって、飛躍の年になりました。
ポイントレースの世界チャンピオンに
2008年。この年の世界選手権はマンチェスターで行われました。
キリエンカは、この世界選手権でポイントレースに出場し、優勝を果たします。
キリエンカはポイントレースの世界チャンピオンになったのです。
この時、2位とは1ポイント差の僅差でした。
2位の選手とは、後にツールでもステージ優勝をあげるフランスのクリストフ・リブロンでした。
ジロでステージ優勝
世界選手権のポイントレースで優勝したこの年、ジロの第19ステージで優勝を果たします。
それまでも何度か逃げに挑戦していましたが、ステージ2位を2回と悔しい結果となっていました。
その悔しさを晴らすように、逃げ集段からラスト15kmを残し、アタックを仕掛け、山頂ゴールを1位で迎えました。
グランツールでのステージ優勝は、一流の証と言われますが、キリエンカは初出場のジロで達成しました。
独走逃げ切りのスペシャリストに
キリエンカといえば、無表情で淡々と走る姿が思う浮かぶ方も多いと思います。
よくその姿を見ますよね。一人でも、淡々とペースを維持し、逃げ切る力が彼にはあります。
2008年にジロでステージ優勝を達成していますが、その後も、
ジロは2011年、2015年にもステージ優勝。
2011年は、見事な独走逃げ切り。2015年はTTステージでの優勝でした。
ブエルタでも2013年にステージ優勝を達成しています。
厳しい登りを含む、過酷な第18ステージで、40kmの独走で勝利しました。
過酷なステージでの、独走逃げ切りが彼の必勝パターンとなりました。
個人TTの世界チャンピオンに
トラックの世界選手権での優勝経験のあるヴァシル・キリエンカですが、2015年には世界選手権の個人タイムトライアルで優勝します。
もともとベラルーシのTTのナショナルチャンピオンには何度もなり、世界選手権でも3位と4位を経験していたキリエンカ。
2015年に遂に、世界チャンピオンに上り詰めました。
1年間、TTのレースでアルカンシェルのキリエンカを見ることができました。
トニー・マルティンのあだ名は?
現代のサイクルロードレース界を代表するTTスペシャリストの一人、トニー・マルティン。
TTの世界チャンピオンになること4回。ツールでもステージ通算5勝。
さらに中級ステージレースでなら総合優勝出来る選手です。
そんな、トニー・マルティンですが、彼に「あだ名」はあるのでしょうか。
同じくTT世界選手権で4回勝っているカンチェラーラには「スパルタクス」というあだ名がありましたよね。
トニーマルティンの「あだ名」は・・・
よく日本のネット上で書かれる、「トニ丸」とか「◯珍」とか無しで・・・笑。
彼のあだ名は・・・
panzerwagen(装甲車)
かつてのスプリント世界最強チームであるHTCコロンビアのツールでの様子を描いたドキュメンタリー「チェイシング・レジェンド 」の中での一コマで登場。
その日のステージのミーティング中に監督が、「今日は装甲車の出番だ。トニーを車庫から出す。」と。
字幕では装甲車と出ていましたが、彼らの言葉では「panzerwagen」と呼んでいました。
ドイツ語で装甲車の意味のようです。
その語も監督が無線で「panzerwagenを含む集団が・・・」とか何とか言っていました。
トニー・マルティンといえば、やはり、何があっても強く突き進む戦車のようですもんね。
英語版のWikipediaでもpanzerwagenと書かれていました。
ということで、トニー・マルティンのあだ名は「panzerwagen(装甲車)」でした!
チェイシング・レジェンドを見て思ったこと・・・。レビュー。
サイクルロードレース好きにはお馴染みの「チェイシング・レジェンド」を見ました。
まず・・・めちゃめちゃ面白かったです!!
自分が以前からカヴェンディッシュ好きなのもあって、彼が最強だった時代を久しぶりに見れてテンションが上がりました。笑
「チェイシング・レジェンド」を見てみた、感想を書きたいと思います。レビューってほどではないので、お気軽に読んで頂けると嬉しいです。
感想①:HTCが面白いくらいに最強スプリントチーム 笑
この「チェイシング・レジェンド」は、2009年のツール・ド・フランスで、チーム コロンビアHTCを追ったドキュメンタリーです。
カヴェンディッシュがエースで、最強のトレインを走らせるチームです。
トレインを走らせるメンバーは、、、
●ヘルト・グラプシュ:当時TT世界チャンピオン
●マイケル・ロジャース:元TT世界チャンピオン
●トニー・マルティン:その後にTT世界チャンピオンに
ちびりそうなトレインです。しびれます。
他には、カヴのお母さん役、ベルンハルト・アイゼル
最強の発車台、マーク・レンショー
優勝請負人、ジョージ・ピンカピー
今、こんなに役者が揃ったスプリントチームないですよね。。。
メンバーが最高過ぎて面白いくらいです。
そんな最強チームの、黄金のトレインが見れます。
他チームが上がってこられない速度、戦略、カヴを発射させるタイミング、そしてカヴの圧倒的なスプリント!!
たまりません。。。
感想②:やはりツールは超過酷 笑
この「チェイシング・レジェンド」は、HTCの選手や監督、そして選手会長を務めたフォイクトさんなどのインタビューが収録されているのですが、、、
やはり「ツールはきつい!」ようです。
選手が、「ツールってのはこういうもんだよ」とインタビューに答えているのですが、レースの映像では分からない、きつさ、過酷さが伝わってきます。
●フォイクトさん「ただのレースではなく、生き残りをかけた壮大な冒険に旅だ」
↑実際に顔から落車し、意識を失い、そのときの20~30分の記憶がないらしい・・・
●監督「選手は四六時中ぐったりと疲れている。選手が落車して苦しむ姿を皆楽しんでいる」
・・・確かに、あんなに傷だらけになって、骨折しても戦い続けないといけないのって、自転車レースくらいだから、その姿に変に神聖さを感じてしまう気が。
いろいろな選手、関係者がインタビューに応えていますが、本当に過酷な競技だと思い知らされます。
感想③:選手間の人間関係が面白い
この「チェイシング・レジェンド」では、レース意外でのチームの様子が見られて面白いです。
ミーティングの様子、ボトルを多く運びすぎた選手をからかう様子も 笑。
冗談を言って笑い合っている様子がよく映し出されています。
ある選手は、自分たちの成功の秘訣は、仲の良さと語っていました。やはり30日間レースだけでなく、移動も食事も共にするので、雰囲気のよさが重要なようです。
選手たちは、こんな雰囲気で作戦のミーティングをしたり、食事してりしてるのか~とレースとは違った選手たちの一面が見れます!
絶対に見るべし 笑
昔からサイクルロードレースが好きな方には、絶対に面白い内容です。まず、HTCの最強トレインが懐かしい!興奮する!
というか、昔から好きな方には鉄板で、もう見ている方が多いでしょうか。笑
最近、サイクルロードレースを好きになった方にも、今ベテランの一流選手の若い頃が見られて楽しいはずです。カヴェンディッシュ無双の時代です。
【トレイン】日本人アスリートで自転車ゴールスプリントを狙うトレインを考えてみた。
日本人による黄金のトレインを考えたい
ツール・ド・フランスなどのサイクルロードレースで見られる、ゴール前のスプリント勝負。
各チームの屈強なアシスト陣がトレインを組んで、最後はエースが激しいスプリントを披露します。
そこで、一つ勝手な妄想をしてみました。
日本人の各分野のアスリートが、自分の生涯を捧げるスポーツとして自転車を選んでいたら・・・
日本人だけのトレインを考えてみよう、、、と。
トレインに必要な脚質
まず、ゴール前スプリントをするときのトレインには、どのような選手が必要なのでしょうか。
①エーススプリンター
これは必須ですね。スプリントで勝負を決める人です。チームのエースです。
②発射台(準スプリンター)
エースの直前を走ります。自らもスプリントをして、エースが発射しやすい速度を作り上げます。
③ルーラー
ゴール前で他のチームが出てこられないような高速を維持して、良い位置で①②をスプリントさせてあげます。また、長時間集団の先頭を牽く役割もあります。
例えば、かつて最強を誇った、HTCトレイン2009年ツールは、
③●トニー・マルティン・・・ご存知の通り、この後TTの世界王者になります。
●ジョージ・ヒンカピー・・・190cmの通称「ビッグ・ジョージ」
●マイケル・ロジャース・・・元TT世界王者
●ヘルト・グラプシュ・・・当時TT世界王者
他・・・
②●マーク・レンショー・・・エースにもなれるスプリント力を持つ「最強のアシスト」
①●マーク・カヴェンディッシュ・・・そりゃあもう凄いスプリントです。
・・・やばい、強すぎ
勝手に日本人選抜
トレインにはどのような人が必要か、なんとなく分かったところで、敢えて他種競技から、日本人トレインを完成させたいと思います。ツールに合わせて8人とします。
③ルーラー
●萩野公介(水泳)
177cm/71kg。400m個人メドレーの金メダリストでありパワー、持久力を持ち合わせる。
●村田諒太(ボクシング)
183cm/75kg。オリンピックで金、その後世界チャンピオンに。ミドル級を制するパワー、そしてスタミナが見込める。
196cm/95kg。キングオブアスリートと呼ばれる十種競技の日本記録保持者。スピード、パワー、瞬発力、持久力を併せ持つ。
●吉田麻也(サッカー)
189cm/85kg。この高身長を駆使し、体を張ってディフェンダーとして活躍する。
●田中大貴(バスケットボール)
192cm/93kg。海外のゴリゴリ系ルーラーに全く引けをとらない身長。そして、このサイズで動き回れるスタミナ。
●竹内譲次(バスケットボール)
207cm/98kg。これはもうでかさと名前で選抜。ジョージ・ヒンカピーを大幅に上回る『ビッグ・ジョージ』!!
②発射台
●桐生祥秀(陸上/短距離)
176cm/70kg。やはり日本人初の9秒台を出した逸材のスプリント力は取り入れたい。
①エーススプリンター
●室伏広治(陸上/投擲)
187cm/97kg。まさかの引退選手の登場。しかし、思いついてしまった・・・。とにかく、とてつもないパワー、そして意外かもしれないが、凄い瞬発力をもっている。(あの巨体で100m10秒台、走り幅跳び非公式ながら世界記録を超える跳躍)
戦術
来るツール・ド・フランスの平坦区間での勝利量産のために、メンバー選びを終えたところで、戦術を考えてみようと思います。
まず、エーススプリンターである室伏と発車台を努める桐生は、ゴール前まで全く足を使わせません。
●スタート~ゴール前5kmほど
この段階では、2mを超える大型ルーラーの田中を中心に、スタミナがあり集団を率いるパワーもある萩野、村田が淡々と先頭を牽引します。3人で交代しながら、必死に抵抗する逃げ集団との差をじりじりと詰めていきます。
●ゴール前5km~
ルーラー3人が頑張り、残り5kmで逃げ集団を捕まえます。すると集団もピリピリし始め、他のスプリンターチームも前に上がろうとし、総合系のチームも危険回避の為に前に上がってきます。混沌とした集団で、身長189cmの吉田麻也がその体格とディフェンダー魂で良い位置をキープし、チームの列車を好位置で走らせます。
●ゴール前2kmからゴールまで
ゴールが近づくにつれて他チームもどんどん速度を上げていきます。位置をキープし、列車を率いてきた吉田麻也にも限界がきます。吉田は最後の持てる力を出し切り、全力加速して、フェードアウトします。
そして、先頭は身長196cmの右代へ。キングオブアスリートは、そのパワーと集発力でがんがん速度を上げます。バイク上でのバランス感覚も良く、高速度域での混戦もものともしません。
右代先頭でラスト1kmを通過し、吉田と同じく持てる力を全て出し切りフェードアウト。先頭は身長207cmの竹内譲次へ。ここに竹内選手が入るのは勿論『ビッグ・ジョージ』の定位置だから。あとは、他チームの追随を許さずに、そして発車台の桐生がスプリントできるように超高速にもっていくだけです。207cmの選手が思い切りペダルを踏めば、他のチームはひとたまりもありません。どのチームも前に出てこれないまま、桐生へバトンタッチします。
すでに、これまでのトレインメンバーの働きで、かなりの高速になり、土台はできあがっています。そこから、100mで9秒台を出した類い希な瞬発力を活かして、桐生がスプリントを開始します。もがいて室伏のお膳立てをします。
あとはKoujiMurohushiが発射されるだけです。桐生のスプリントで上がりきったスピードから、更にパワフルなスプリントを開始します。ハンドルが折れんばかりのパワーでもがき倒し、広治スマイルでゴールします。
これが必勝パターンです。笑
問題点
楽しくなって長々と書きましたが、問題点が・・・。
黄金のトレインを走らせるべく、がたいの良い選手を選びましたが、やはり他競技の選手なので、ツールを乗り切れる体重ではない・・・。
つまらない妄想を読んで頂き、ありがとうございました。
【TTスペシャリスト】ローハン・デニスとはどんな選手?
ローハン・デニスとは?
ローハン・デニスといえば、サイクルロードレース界を代表するTTスペシャリストの一人です。
オーストラリア人でBMCに所属しています。どのような選手なのでしょうか。まとめました。
目次
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トラックで鍛えられたTTスペシャリスト
最近はロードでの活躍がめざましいローハン・デニスですが、かつてはトラック種目で輝かしい成績を残しています。
国際大会で活躍し、2010年、2011年には団体追い抜きで世界選手権で優勝しています。
この時のローハン・デニスの他のメンバーは、キャメロン・マイヤー、マイケル・ヘップバーン、ジャック・ボブリッジという、同じくロードレースでも活躍するスピード自慢の選手たちです。
デニスは世界選手権個人追い抜きでも5位になっています。 TTが速いのは当然といえば当然のようです。
ダウンアンダーで爪痕を残す
トラックレースで活躍していたローハン・デニスですが、2012年にはオーストラリアのU23ロードとTTの両方で優勝します。
そして、ツアー・ダウンアンダーに参戦しました。このレースは、UCIワールドツアーに組み込まれているレースなので、世界のトッププロチームが集結します。
この時のローハン・デニスの所属は南オーストラリア大学です。母国のレースで、デニスは奮闘します。
第4ステージではなんと、1級山岳をトップ通過し、第5ステージでもバルベルデらを相手に登りで競り合います。
終始見せ場を作ったローハン・デニスは最終的には総合5位でフィニッシュ。山岳賞と新人賞も獲得。UCIプロチームの選手たちと競い合い、きっちりとロードでも活躍できるところを世界に見せつけました。
ガーミン・シャープへの加入
2013年、ローハン・デニスはUCIプロチームであるガーミン・シャープ(現EFエデュケーション・ファースト・ドラパック)に加入します。ダウンアンダーの成績が良いアピールになったのでしょう。
そして、この年、早速クリテリウム・ドゥ・ドーフィネで活躍しました。
ツール・ド・フランスの前哨戦と位置づけられる一流のレースです。
第4ステージが得意のTTであり、ローハン・デニスは惜しくもステージ2位でした。
ステージ優勝はトニー・マルティン。
惜しいですが、3位以下をみると、その強さが分かります。3位クリス・フルーム、4位カストロビエホ、5位クヴィアトコウスキー、6位ボアッソンハーゲン、7位リッチー・ポートです。
これによって、デニスは1日だけでしたが、マイヨ・ジョーヌを着ることができたのです。
BMCへ移籍。そしてダウンアンダーを制覇。
2014年8月、シーズン中にもかかわらず、ローハン・デニスはガーミンからBMCへ移籍しました。異例のことで、話題になりました。
そして、この年のBMCは世界選手権のチームTTで優勝します。TTスペシャリストのデニスの大きな貢献があったことでしょう。
そして、2015年のツアー・ダウンアンダーを迎えます。
第3ステージで、リッチー・ポート、トム・ドュムラン、ポッツォヴィーヴォ、カデル・エヴァンスと同じ集団にいたローハン・デニスは、この集団からアタックをしてステージ優勝。そして総合でもトップに躍り出ます。
山場となる第5ステージのウィランガヒルでは、総合優勝を目指すポートがやはりアタック。
デニスは食らいつきますが、ポートの鬼のような加速に離れてしまいます。
しかし、ここからTTスペシャリストとしての力を発揮したのか、“踏み続ける”ことができ、致命的となる大きな差は生まれませんでした。
どうにかポートの猛追から逃げ切ったローハン・デニスは2秒差でツアー・ダウンアンダーを総合優勝することができました。
アワーレコードを更新
一時間でどれだけの距離を走れるのか?TTスペシャリストが夢見ること。
アワーレコードの更新です。
かつては盛んだったアワーレコードでしたが、それに特化した機材やフォームが乱立し、それに対する規制もあり、混沌とした状態でしばらく挑戦者は現れませんでした。
しかし2014年に新たなルールが決まったため、続々と挑戦者が現れました。
2015年2月には、ローハン・デニスもアワーレコードに挑戦しました。
前記録はマティアス・ブランドレ(当時IAM所属、現在はトレック・セガフレードに所属)の51.852kmでしたが、デニスが52.491kmへ更新を果たしました。見事にアワーレコードホルダーになったのです。
しかし、その後はアレックス・ダウセットに更新され、さらにその後はブラッドリー・ウィギンスが驚異的な記録で更新。それまでの挑戦者とは異次元の記録を打ち立てられましたが、デニスの再挑戦はあるのでしょうか・・・
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ツール初日勝利でマイヨ・ジョーヌ
2015年のツール・ド・フランスは第1ステージが13.8kmの個人TT。
最初のステージなので、ここでステージ優勝出来ればマイヨ・ジョーヌを着ることができます。
TTスペシャリストは絶対に逃したくないチャンスです。
この大チャンスを、ローハン・デニスはものにしました。
トニー・マルティンやファビアン・カンチェラーラ、トム・ドュムランといったスペシャリストがひしめく中で、後半で伸びたデニスが優勝したのです。(風も味方しました。)
長距離TTではないため、トラックで4kmの戦いを繰り広げてきたデニスに向いていたのかもしれません。
この大きな勝利は、TTスペシャリストとしてのローハン・デニスを強く印象付けました。
多くのファンの中で、なんとなく知っている選手ではなく、強いTTスペシャリストのローハン・デニスとして認知されたと思います。
中規模ステージレースでの活躍
ツアー・ダウンアンダーで総合優勝をしている、ローハン・デニスですが、他のステージレースでも総合争いをしています。
中規模のステージレースであれば、得意のTTを活かして総合優勝争いができるようです。
・2016年のツアー・オブ・カリフォルニアでは、超級山岳で遅れますが、TTで大幅に挽回して総合2位。
・ツアー・オブ・ブリテンでもTTの好成績と、独走の逃げ切りでタイムを挽回し、総合2位。
・2017年のティレーノ~アドリアティコでは、最初のチームTTで稼ぎ、山岳で失い、最終個人TTでの好走で総合2位。
いまのところは、TTスペシャリストとして、遅れをTTで挽回するスタイルのようです。
ブエルタでも初日勝利でマイヨ・ロホ
ツールで初日の個人TTで勝利し、マイヨ・ジョーヌを着用した経験のあるローハン・デニスですが、2017年にはブエルタでもリーダージャージであるマイヨ・ロホを着用しました。
第1ステージがチームTTだったのです。彼の所属するBMCはチームTTで世界選手権優勝の経験があります。その主軸となっているのが、スペシャリストのローハン・デニスです。
同じくチームTTの強豪であるクイックステップを6秒差で下し、デニスがBMCの先頭を牽く形でゴールしたため、マイヨ・ロホが彼のもとに舞い降りました。
これによって、ツール、ブエルタと、二つグランツールのリーダージャージ着用経験者となりました。
マリア・ローザ獲得で3大ツールリーダージャージ制覇
2018年ジロで快挙を成し遂げます。
第1ステージの個人TTで、トム・デュムランに次ぐ2位と、好位置につけていたデニス。続く第2ステージでボーナスタイムを獲得し、リーダージャージであるマリア・ローザを獲得することの成功。
2015年ツール、2017年ブエルタに続いて、ジロでもマリア・ローザを着用し、グランツール全てのリーダージャージを着用した選手となりました。これは偉大なことですね。
個人TTの世界チャンピオンに!!
ローハン・デニスは、世界選手権のような長距離TTよりは、グランツールの初日のような短距離のTTに強さを発揮するスペシャリストでした。(そもそもが個人追い抜きの選手)。
意外ではありますが、2017年までの個人TTの世界選手権は5位が最高の成績でした。
2018年の世界選手権も、前年覇者のトム・デュムランが有力視されましたが、デニスは直前のブエルタでTTのステージを2勝し、調子の良さを見せます。
そして蓋を開けてみれば、2位のデュムランに1分以上の大差をつける圧勝でした。
バーレーン・メリダに移籍
2108年TTの世界チャンピオンにまで上り詰めたローハン・デニスは、2019年シーズンからバーレーン・メリダで走ることに。
日本のスター、新城幸也選手とチームメイトになることに。
新城がデニスのアシストをするレースが見れることでしょう。
【コロンビアの超新星】スカイ所属のエガン・ベルナルとはどんな選手?
新たなコロンビア人スター
サイクルロードレース界で一大勢力となったコロンビア人選手。ジロとブエルタで勝っているナイロ・キンタナがその代表格でしょう。
そんなキンタナの才能に全く劣らない、新たなコロンビア人スターが今大活躍をしています。
ツール・ド・ラヴニールから記録を追っていた方にとっては既にお馴染みだとは思いますが、スカイに所属するエガン・ベルナルという選手です。
ツール・ド・ラヴニール総合優勝者
エガン・ベルナルといえば、記憶に新しい2017年のツール・ド・ラヴニールの総合優勝者です。
ツール・ド・ラヴニールとは、U23のツール・ド・フランスと言われるステージレースです。U23世代にとっての世界最高峰のレースであり、歴代の優勝者はその後のプロ生活でも大活躍する場合がほとんどです。
エガン・ベルナルにとっての同国の先輩であるナイロ・キンタナやエステバン・チャベスもラヴニール総合優勝者です。
そんなレースで、ベルナルは山岳で圧倒的な力を見せ、2つのステージを制し、総合優勝を成し遂げました。
そして、優勝後すぐにサイクルロードレース界きってのビッグチームであるチームスカイへの移籍を発表しました。スカイは、将来有望なコロンビア人採るの好きですね。
アンドローニ・ジョカットリ時代の活躍
ラヴニールの総合優勝後、スカイに移籍することを発表したエガン・ベルナルですが、前所属チームはアンドローニ・ジョカットリだったようです。プロコンチネンタルチームで、少ないチーム運営費ながら、なかなか活躍するチームです。
アンドローニ・ジョカットリ時代のベルナルですが、既に活躍していました。2017年のティレーノ~アドリアティコでは、総合16位でゴールしています。下の表を見て頂けると、その凄さが分かって頂けると思います。
もうバリバリ走れてるやないか!ラヴニール勝てるわけだ。
1位 | ナイロ・キンタナ |
2位 | ローハン・デニス |
3位 | ティボー・ピノ |
4位 | プリモシュ・ログリッチ |
5位 | ゲラント・トーマス |
6位 | トム・デュムラン |
略 | 略 |
14位 | ボブ・ユンゲルス |
15位 | ミケーレ・スカルポーニ |
16位 | エガン・ベルナル |
17位 | セバスチャン・ライヘンバッハ |
18位 | ルイ・コスタ |
19位 | ロベルト・へーシンク |
ルイ・コスタやへーシンクに勝っています。笑
早速先輩たちを撃破
スカイに所属することになったベルナルですが、早々にコロンビアの大先輩たちと勝負する機会を得ました。
というのも、母国コロンビアで第一回『コロンビア・オロ・イ・パス』というステージレースが行われたのです。コロンビアのレースとあって、ジロ&ブエルタ総合優勝のキンタナ先輩や、前年ツール総合2位のウラン先輩も出場します。
そんな一流な先輩と争ったこのレース。最終ステージでキンタナを突き放して、ベルナルが総合優勝を飾ったのです。末恐ろしい21歳です。
ベルナルの今後
スカイに移籍し、早速キンタナとウランを下した、エガン・ベルナル。やばいレベルの選手になるのは間違いなさそうです・・・。
ツールで圧倒的な強さを誇ったフルームにも少々陰りが見え始めてきた中で、スカイはベルナルを大エースに育てていくつもりでしょうか、タイミングも良さそうです。
スカイにはコロンビア人のセルジオ・エナオ先輩もいますし、昨年ツール総合2位のウラン先輩もスカイ育ちなので、チームとの相性は良いのではないのでしょうか。
エガン・ベルナル。U23ではなく、本物のツールで総合優勝する日も近いかもしれません。
【エドヴァルド・ボアッソンハーゲン】ノルウェーの頼れる何でも屋自転車選手。
多才なノルウェー人
エドヴァルド・ボアッソンハーゲンという選手がいます。ノルウェー出身で、ディメンションデータに所属しています。
どんな選手かというと・・・一応当てはめるとしたら『登れるスプリンター』といったところでしょうか。さらに、彼の凄いところは、超優等生なところです。絶対的なエースがいれば献身的にアシストをして、エースに何かあった場合は、自らがきっちりとチームに勝利をもたらします。
そんな『何でも屋』、ボアッソンハーゲンについてまとめました。
ツール・ド・ラヴニールでの活躍
ボアッソンハーゲンはセミプロ時代、若手の登竜門であるツール・ド・ラヴニールに出場しています。この大会はU23版のツール・ド・フランスと呼ばれ、この大会で活躍した選手は、プロ入り後も活躍をしていきます。将来のスター選手が見つかるレースです。
そんな、U23の最高峰のステージレースで、ボアッソンハーゲンは輝きます。全10ステージあるレースなのですが、その第2,5,7という怒濤のステージ3勝を飾ります。1ステージ勝つことでさえ相当困難なこの最高峰のレースで、3勝もするという末恐ろしい結果を残しました。
チーム・ハイロード入り
ラヴニールで圧倒的な力を見せたボアッソンハーゲンは2008年にチーム・ハイロードに迎え入れられます。その加入年から、クリテリウム・アンテルナシオナルのTTステージでの優勝など結果を残します。この時、トニー・マルティンやザブリスキーなどTTが得意な選手を下しています。
世界に知れ渡った2009年~ヘント・ヴェヴェルヘム勝利~
翌2009年。ボアッソンハーゲンの実力が広く知れ渡った年となりました。ベルギーの伝統あるクラシック、ヘント・ヴェヴェルヘムで勝ったのです。
モニュメントではありませんが、クラシックを狙う選手なら誰もが勝利を欲しがる格式高いレースです。終盤に2人で抜け出したボアッソンハーゲンは、そのままゴールを迎え、スプリントで勝利しました。展開も味方しましたが、真の実力がないと勝てないレースで結果を残しました。
世界に知れ渡った2009年~ジロでの活躍~
もう一つの大きな勝利は、ジロ・デ・イタリアでのステージ優勝です。チームには、カヴェンディッシュがいるため、平坦ステージでは彼の為にアシストをこなします。カヴェンディッシュが脱落してしまうステージでは、自らが勝利を狙います。
第7ステージでは、下りで数人とともに抜け出すと、ゴール前では一人次元の違うスプリントでステージ優勝をしました。前日の第6ステージでも、スカルポーニの逃げ切りが決まってしまいましたが、集団ではスプリントを制し、ステージ2位になっていました。ピュアスプリントでも相当な力を持っていることが証明されました。
スカイに移籍
2010年、ボアッソンハーゲンはイギリスのチーム・スカイに移籍します。このチームでも、アシストとしての献身ぶりと、エースに何かあったときには、自分がチームに勝利をもたらすという超優秀ぶりを見せました。
2011年 ツールでステージ2勝
2011年のツール・ド・フランス。ボアッソンハーゲンが所属するスカイの目的は、イギリスのヒーロー、ブラッドリー・ウィギンスで総合優勝をすること。実際に、ウィギンスは前哨戦のクリテリウム・ドゥ・ドーフィネで総合優勝するなど、調子は良さそうでした。このツールで、ボアッソンハーゲンは第6ステージを制します。起伏があり、スプリンターは軒並み脱落。ボアッソンハーゲンのスプリントに敵はいませんでした。
しかし、ボアッソンハーゲンの勝利の翌日の第7ステージ、ウィギンスが落車による鎖骨骨折でリタイアしてしまいます。目標を失ったスカイは狙いをステージ優勝にシフト。ボアッソンハーゲンは更なる勝利を挙げるべく、積極果敢に攻めます。そして、終盤の第17ステージで、独走逃げ切り勝利を挙げ、チームに2勝目をもたらしました。
2012年ツールでの献身
ウィギンスがリタイアした翌年の2012年のツールでは、献身的なアシストが光りました。今年こそ総合優勝を目指すウィギンスのために集団を引き続けました。終盤のステージでは、ウィギンスが感謝を表すべく、ボアッソンハーゲンをアシストしてスプリントさせるシーンもありました。結局、グライペルに勝利は持って行かれましたが、感動的なシーンでした。最終ステージでは、発射台を努め、きっちりとカヴェンディッシュを勝利に導きました。
MTNクベカに移籍
2015年のシーズンから、ボアッソンハーゲンはアフリカ籍のチーム、MTNクベカ(現ディメンションデータ)に移籍しました。かつてボアッソンハーゲンも所属したハイロードを思わせるような布陣、スピード系のチームでした。2016年にはカヴェンディッシュも加わり、完全に新・ハイロードと化しました。2016年ツールは成功を収め、カヴェンディッシュが復活のステージ4勝を挙げました。
2017年ツールで久しぶり勝利
新・ハイロードと化したチームで、成功した翌年のツールは、序盤でエースのカヴェンディッシュがリタイアするという波乱に見舞われました。しかし、そんな時に勝ってくれるのがボアッソンハーゲン。
第19ステージで、逃げに乗りました。終盤に現れたラウンドアバウトでボアッソンハーゲンともう一人の選手と、逃げ集団の他のメンバーが左右に分かれて通過しました。すると、ボアッソンハーゲングループが、少し抜け出す形になり、そのまま加速。あまりの速さに、付いてきたもう一人も堪らず離れ、独走勝利を飾りました。そういえば、TTもかなり得意なんですよね・・・
カヴェンディッッシュについてはこちら↓
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【マン島超特急×ゴリラ】マーク・カヴェンディッシュとアンドレ・グライペルのライバル関係
時代を代表する2人のスプリンター
イギリスのマーク・カヴェンディッシュと、ドイツのアンドレ・グライペル。
自転車選手の中で、スプリンターを順に思い浮かべるとき、真っ先に、少なくとも10番以内に思い浮かべるであろうトップスプリンターの2人です。
ツールの平坦路で幾度となく競り合い、気付けばどちらもベテランの域に差し掛かっています。
プロトンを代表するトップスプリンターのカヴェンディッシュとグライペルですが、実はかつては同じチームに所属していました。2人のこれまでをまとめます。
Tモバイルでチームメイトに
カヴェンディッシュと、グライペルは、ドイツのチーム、Tモバイルに同時期に移籍しています。Tモバイルとはウルリッヒ、ビャルヌリース、ヴィノクロフらが所属したビッグチームです。
ところが、その翌年、Tモバイルのメインスポンサーであった、ドイツのテレコム社がチームのスポンサーを撤退してしましました。ドーピングが蔓延するサイクルロードレース界に関わることは、企業のイメージダウンにつながるとの判断からでした。
チームは、運営企業名のハイロードとして存続していくことになりました。このチーム・ハイロードで、カヴェンディッシュとグライペルは走ることに。
2007年、まずはカヴがツールに。
2007年、カヴェンディッシュはベルギーの歴史あるワンデーレース、スヘルデプライス・フラーンデレンで勝利しました。
このレースはロンド・ファン・フラーンデレンより歴史が古く、その時代を代表するトップスプリンターが歴代優勝者に名を連ねています。マン島出身のスプリンターは、一気にトップスプリンターとしての階段を駆け上がりました。
その活躍もあってか、2007年のツールにカヴェンディッシュは出場。この時点でのチーム名はまだ「Tモバイル」です。グライペルは出場メンバーに入りませんでした。
ですが、カヴェンディッシュも見せ場も全くなく、第8ステージで早々にメイン集団から遅れ、リタイアに終わりました。
2008年、ジロに共に出場
2008年、スプリンター2人の力は誰の目から見ても確かなものになりました。グライペルはツアー・ダウンアンダーで圧巻のステージ4勝、そして総合優勝を成し遂げました。
カヴェンディッシュも前年に続いて、スヘルデプライス・フラーンデレンに勝利。そして、カヴェンディッシュ、グライペルの2人のスプリンターは、この年、共にジロに出場しました。
このときのチーム・ハイロードのメンバーが豪華。
カヴェンディッシュとグライペルの他には、今も鉄人として活躍している、アダム・ハンセン。そして、若き日のトニー・マルティンとブラッドリー・ウィギンス。
後に世界チャンピオンになるTTスペシャリスト2人が列車を走らせました。
エーススプリンターは?
スプリントで勝利を狙うメンバー構成ですが、カヴェンディッシュとグライペルのどちらがエーススプリンターを担ったのでしょうか。通常、チームのエースは一桁台が"1"のゼッケンを付けます。
この時、一桁台が"1"のゼッケンを付けたのはカヴェンディッシュでした。
カヴェンディッシュがステージ2勝
スヘルデプライス・フラーンデレンを2連覇し、一流スプリンターに肩を並べたカヴェンディッシュでしたが、昨ツールでは未勝利でリタイアしたため、グランツールでは勝利がありません。なんとか勝利したいカヴでしたが、そのジロにはリクイガスのスプリンター、ベンナーティーが出場していました。ベンナーティーは、前年のツールとブエルタでステージ優勝を飾っているトップスプリンターです。
このジロでベンナーティーはステージ3勝をします。対するカヴェンディッシュは、第4,13の2ステージを制します。展開や経験値からベンナーティーが勝利数では勝っていましたが、単純にスプリントの力比べとなると、カヴェンディッシュのスピードが群を抜いていました。ベンナーティーが勝った3ステージの内の1つも、後方から桁違いのスピードで追い上げたカヴェンディッシュに稀に見る僅差での勝利でした。
カヴェンディッシュはグランツールでの勝利を手に入れ、何よりも単純なスプリント力では、他を寄せ付けない圧倒的なスピードを持っていることを印象付けました。
グライペルも1勝を
カヴェンディッシュの為に働いてきたグライペルですが、終盤の第17ステージできっちり勝利を手に入れました。
ゴール前の急なカーブを、先頭でハイロードトレインが通過した時点で、他スプリンターは既に後方に。トレインの並び的に、本来ならば、グライペルが発車台としてスプリントを開始して、その背後からカヴェンディッシュがスプリントを開始するというのが定石でしょう。
しかし、敵チームのスプリンターがその時点で後方にいたため、カヴェンディッシュが前に出ることなく、グライペルが先頭のままゴール。カヴェンディッシュも2位に入り、ワンツーフィニッシュを飾りました。
二人の仲が気になる・・・
グライペルが勝ったステージで、カヴェンディッシュはグライペルを抜かないように力を抜いているように見えたのですが、グライペルの感触は違っていたようです。
グライペルは、「カヴェンディッシュは、自分のことを抜こうとしていた」「これまで、カヴェンディッシュのために働いてきたのだから、今回の勝利を彼は喜んでくれるはず」などピリッとしたコメント。やはり、アシストをしてきたグライペルは相当不満が溜まっていたようです。
そして、その後、チームメイトとして2人で揃って同じレースへ出場することはありませんでした・・・
カヴェンディッシュの黄金時代、その裏で活躍するグライペル
ジロで、桁違いのスピードを持っていることを見せつけたカヴェンディッシュでしたが、その後も華々しい戦績を残していきます。カヴェンディッシュはツールで華々しく活躍し、グライペルはグライペルで、カヴの出場しないレースできっちりと階段を上がっていきました。
2008年カヴ遂にツールで覚醒
初出場のジロでステージ2勝したカヴェンディッシュは、この年もツールに出場。グライペルはメンバーいませんでした。世界のトップ選手が、コンディションを整え、最高の状態で挑んでくるのが、ツール・ド・フランス。各トップスプリンターもこの大会での勝利は何が何でも欲しい・・・そんな大会で、またしてもカヴェンディッシュは一人違う次元にいました。
この2008年チーム名は「ハイロード」から「コロンビア」に。カヴェンディッシュのためのトレインを走らせるメンバーもかなり強力でした。アダム・ハンセンや、ジョージ・ヒンカピー、シウトソウなど牽引メンバーに、自身もスプリンターである、ゲラルト・チオレックやベルンハルト・アイゼルがゴール前の発車台役を務めます。カヴェンディッシュはこの豪華トレインに率いられ、圧巻のステージ4勝をあげます。
これが、伝説始まりだったのかもしれません。
2009年、グライペルがブエルタポイント賞
一方のグライペルでしたが、彼も各ステージレースで派手なスプリント勝利をあげていきます。そしてカヴェンディッシュの出場しないブエルタにエーススプリンターとして出場。圧巻のステージ4勝をあげ、ポイント賞を獲得します。スプリンターのタイトルであるポイント賞はカヴェンディッシュより一足先に獲得しました。
2010年、カヴ、グランツールでの初ポイント賞、グライペルが移籍の決意
2008年のツールで、ステージ4勝をあげたカヴェンディッシュ。2009年ツールはなんとステージ6勝。2010年も5勝。世界のトップ200人が集うツール・ド・フランスの、21あるステージの内の5~6ステージをカヴェンディッシュが勝ち取ってしましました。(彼の力もさることながら、チームのトレイン自体も最強)
そして、2010年に、ただ一つ出場していなかったグランツール、ブエルタ・ア・エスパーニャに出場します。このブエルタではステージ3勝をあげました。そして、ペタッキ、フースホフト、ベンナーティー、タイラー・ファラーなどトップスプリンターが揃った中で、最終的にスプリント賞を獲得します。これが、カヴェンディッシュにとって、グランツール初のポイント賞の獲得となりました。
グライペルはというと、ジロでステージ1勝を手に入れます。前年のブエルタでステージ4勝し、ポイント賞も獲得する快挙を成し遂げましたが、ツールには出場できませんでした。そして、グライペルは来シーズンからオメガファーマ・ロットへ移籍することとなりました。
2011年、カヴェンディッシュが名実ともに世界最強のスプリンターへ
すでに実力では世界最強と認められつつあったカヴェンディッシュですが、2011年は二つの大きなタイトルを勝ち取りました。
一つ目が、ツール・ド・フランスでのポイント賞。前年のブエルタに続いて、最高峰のレース、ツール・ド・フランスでも嬉しいポイント賞を獲得しました。ステージも相変わらず5勝と荒稼ぎ。
そしてもう一つのタイトルが世界選手権の優勝です。スプリンター向きのコースであり、もちろんカヴェンディッシュが最有力の優勝候補でしたが、レースに絶対はありません。世界選手権は、所属チームではなく、国ごとのレースになるため、いつもの黄金のトレインには乗れず、ゴール前でカヴェンディッシュは埋もれ気味に。しかし、自分自身の圧倒的なスプリントで優勝しました。
ツールのポイント賞、世界選手権の勝利とカヴェンディッシュが更に大きく飛躍したシーズンでした。
グライペルの逆襲
グライペルは、スプリンターとしての高い実力がありながらも、カヴェンディッシュと同じチームでは、ツール出場は叶いませんでした。カヴェンディッシュのいないレースで活躍を続けていたグライペルでしたが、2011年からは機会を求めて、オメガファーマ・ロットに移籍しています。
2011年、ゴリラ遂にツールに
ロットに移籍したグライペルは、スプリントのエースとして、遂にツールに出場。昨シーズンまで自分がいたスプリント最強チームにツールで挑むことになりました。ですが、やはりHTC・ハイロード(その年のカヴェンディッシュのチーム名)はスプリント最強チーム。他チームの追随を許さない高速列車、もはやカヴェンディッシュのための職人と化した発車台選手の存在。
しかし、グライペルにも絶好のチャンスが。それは第10ステージでのことでした。この時点でカヴェンディッシュは既に2勝をあげていましたが、このステージは荒れた展開になり、HTCのトレインが崩壊。いつもの必勝態勢には持ち込まれずに、カヴェンディッシュとグライペルの単純なスプリント勝負に。僅差の勝負になりましたが、勝利したのはグライペルでした。かつてのチームのエースを打ち破ったのでした。
結局、カヴェンディッシュはこのツールで5勝、グライペルは1勝でしたが、カヴェンディッシュにも勝てる力があることを、ツールで証明しました。
HTC・ハイロードが消滅。2人の2012年ツール。
カヴェンデイッシュが所属し、かつてはグライペルもいたHTC・ハイロードは、来季からのスポンサーを獲得できず2011年のシーズンを最後に解散となってしまいました。カヴェンディッシュの必勝態勢を構築し、勝利を量産した最強のスプリントチームが消滅してしまったのです。カヴェンディッシュは、自国イギリスのスカイへ移籍することになりました。
グライペル躍進の2012年のツール
そして、迎えた2012年のツール。スカイのカヴェンディッシュと、ロット・ベリソル(前年のオメガファーマ・ロット)のグライペルが再びスプリント勝負を繰り広げますが、今回は状況が異なっていました。スカイは、ブラッドリー・ウィギンスの総合優勝を最優先にしたチーム編成をしたのです。そもそもカヴェンディッシュのためのトレインすら組みませんでした。一方のロット・ベリソルでは、ユルゲン・ヴァンデンブロックという総合リーダーはいたものの、どちらかと言うと、グライペルのスプリント勝利を狙うメンバー構成でした。
カヴェンディッシュはトレイン無しでしたが、経験値と位置取りの巧さを持っていました。第2ステージでは、トレインから発車されたグライペルを発車台に使ってスプリントを開始。グライペルをねじ伏せました。
しかし、やはりチームの協力が得られないカヴェンディッシュはその後なかなか勝てませんでした。一方のグライペルは、ロットトレインが上手く機能し、第4,5,13ステージで勝利しました。
第2ステージ以来勝利がなかったカヴェンディッシュでしたが、終盤に、やっと2勝します。世界チャンピオンでありながらも、ここまで尽くしてくれたカヴェンディッシュに、恩返しすべく、マイヨジョーヌを着るウィギンスが自らカヴェンディッシュをアシストするという感動の展開になりました。第18ステージでは、ウィギンスの鬼引きによって、逃げを捕まえ、カヴェンディッシュが勝つことが出来ました。パリの最終ステージでも、ウィギンス自らがゴール前まで牽引し、ボアッソンハーゲンが発車台を努め、カヴェンディッシュが余裕の勝利。やらないだけで、やってみたらスカイのトレイン強し・・・
カヴェンディッシュとグライペルが3勝ずつしたツールでした。ちなみに、ポイント賞は、初出場のサガンがサラッと持って行きました。
その後の2人の活躍
2013年、カヴェンディッシュ全グランツール ポイント賞制覇
ツールで総合を第一とする母国のチームスカイとは、1年で別れを告げ、カヴェンディッシュは2013年シーズンからオメガファルマ・クイックステップで走ります。新チームで心機一転、ジロに出場したカヴは、ステージ5勝をあげ、ジロでの念願のポイント賞を獲得します。これによって、2010年ブエルタ、2011年ツールと、全グランツールでポイント賞を獲得したスプリンターとなりました。
恐怖のマルセル・キッテル襲来
2013年ツール。この年のスプリントの主役はカヴェンディッシュでもグライペルでもありませんでした。前年、体調不良でリタイアしていたマルセル・キッテルでした。カヴが2勝、グライペルが1勝しましたが、キッテルが大量の4勝を手にしました。
これまで、スプリントでは敵なしの状態だったカヴェンディッシュでしたが、遂にその時代を終わらせるようなスプリンターが真価を発揮しました。カヴェンディッシュが、これまでなら勝てるような展開でも、後ろからキッテルにまくられて敗北を喫し、トップスピードの違いを見せつけました。
ピュアスプリント3強のそれぞれのツール
ド平坦のピュアスプリントでは、キッテル、カヴェンディッシュ、グライペルの3人の力が一歩抜けだしていて、その3人が順に活躍しているようでした。
2014年のツールは、前年に続いてキッテルがステージ4勝の大活躍。カヴェンディッシュは母国スタートで、勝ちたい気持ちが強い余り、サイモン・ゲランスに接触し第1ステージでリタイア。。。グライペルがなんとか1勝。
2015年はキッテルがツールに不出場。そしてグライペルが躍進のステージ4勝。カヴェンディッシュがなんとか1勝。
2016年はなんと、カヴェンディッシュが復活のステージ4勝。久々の強いカヴェンディッシュ。キッテルとグライペルが1勝ずつ。
2017年は、カヴェンディッシュがサガンと絡み、落車リタイア。キッテルが怒濤のステージ5勝。グライペルが2011年より続いていたステージ優勝をこの年で途切れさせてしまう。。。
仲良く勝利を分かち合うことはなく、スプリントの主役は毎年違うようです。