逃げのスペシャリスト、トーマス・デヘントとはどんな選手?

トーマス・デヘント(Thomas De Gendt)という、ベルギー人の選手がいます。

フルームやサガンといった、いわゆるスター選手では決したありません。

しかし、とても“強い”選手です。強いという言葉がピッタリな選手なのです。

 

逃げのスペシャリスト

 

トーマス・デヘントと聞いて、思い浮かぶのは間違いなく『逃げ』ではないでしょうか。

平坦ステージではスプリンター、山岳ではクライマーが勝ちますので、そういった勝負を決める特技に秀でない選手は、序盤からアタックし、逃げ切って勝ってしまおうとします。

しかし、やはり大集団が小集団を追うので、逃げ切りの確率はかなり低いのです。

この限りなく少ない確率の勝利を求めて、果敢に、そして黙々と逃げに挑戦するのがトーマス・デヘントです。

 

最初の大きな勝利は・・・

 

誰もが認める逃げのスペシャリストであるトーマス・デヘントですが最初に注目されたのはどのレースでしょうか?

デヘントにとって、最初の大きな勝利は、おそらく2011年のパリ~ニース 第1ステージです。

 

この平坦ステージでも、序盤に逃げが形成されました。この逃げ集団にはデヘントは入っていません。逃げは、ほぼ捕まるものですので、やはりメイン集団に吸収されます。

しかし、この逃げを捕まえたのが、まだ40kmも残した地点でした。すると、やはり新たなアタックが生まれます。

そのときにできた逃げにトーマス・デヘントは入りました

一緒に果敢に逃げたのは、イェンス・フォイクトとジェレミー・ロア。同じく逃げのスペシャリストです。

スプリンターを勝たせたいチームはメイン集団のスピードを上げ、捕まえようと迫ります。

大集団に対して3人の逃げでなので、少しずつ差を詰められますが、逃げ屋三人も協力してハイスピードを維持します。

そして、足の揃った3人の勝負を制したのがトーマス・デヘントでした。

その前から逃げを得意とする選手ではありましたが、実力のあるフォイクト、ロアにも勝ち、デヘントの存在が広く知れ渡ったレースとなったことでしょう。

 

ジロで驚きの総合3位に

~第20ステージで驚きのヒルクライム

そして2012年。デヘントはジロ・デ・イタリアで驚きに結果を残します。

それはジロ終盤の第20ステージのことでした。

それまで密かに総合8位につけていたデヘントは、ステルヴィオ峠でアタックを試みます。総合8位ではありますが、集団から抜け出すことに成功します。

ライダー・ヘシェダルや、ホアキン・ロドリゲスなど総合優勝争いをする選手たちは、クライマーとしての印象はないトーマス・デヘントにそれほど驚異を感じなかったのでしょう。

デヘントは逃げ集団でも強さを見せ、独走に持ち込みます。

デヘントの抜けだしを許したメイン集団では、総合優勝候補たちのバトルが繰り広げられますが、デヘントは驚きのヒルクライムを見せ、なんと差を広げていきました。

 

デヘントの勢いは衰えず、20ステージで得意の独走勝利を飾り、総合は8位から4位にジャンプアップしました。

そして最終21ステージは個人TTです。

 

個人TTも強いデヘント~

20ステージの逃げ切りによって、総合4位にジャンプアップしたトーマス・デヘント。総合1位のホアキン、総合2位のへシェダルとの差は大きいものの、総合3位のスカルポーニとの差は30秒ほどでした。

最終21ステージは個人TTです。デヘントはこのステージで5位に食い込みます。

総合争いをする選手の中では、最も速いタイムです。

そしてスカルポーニを逆転し、総合3位を勝ち取りました。

 

逃げ屋のトーマス・デヘントのオールラウンダーとしての可能性が見られました。

 

 

ヴァカンソレイユ→クイックステップ→ロット・ソウダル

 

ヴァカンソレイユでは、勝ちまくるチャンピオンがチームにはいませんでした。そのため、デヘントも、アシストとしてチームに縛られることも少なかったのか、逃げまくることができていました。

そもそも、デヘントの他にも、フレチャフーガーランドなど、逃げ選手のイメージが強かったチーム。

そんなヴァカンソレイユは消滅してしまい、トーマス・デヘントはオメガファーマ・クイックステップに移籍。しかし、オメガファーマには、各分野のスペシャリストがいるエリート軍団のため、勝てる確率が高いエースのために走ることに。

 

そして、逃げたいときに逃げられないのは自分ではない!と母国のロット・ソウダルに移籍。

すると、かつてのように自由を得て逃げまくりました。

 

ツール・ド・フランス2016でステージ優勝

 

疲れ知らずの逃げを見せるタフなトーマス・デヘント。

2016年のツールでは、連日逃げ集団に加わりました。平坦ステージ以外の逃げ集団には、必ずと言っていいほどデヘントの姿が。

逃げ集団が安定して、先頭交代できる状態になるまで、デヘントは黙々と先頭を引き続けていました。

解説の土井選手が言うには、デヘントは見た目の通り寡黙な選手のようです。表情も変わらず、黙々と逃げ集団の先頭を引き続ける姿が印象的でした。

 

そして、第12ステージ、モンヴァントゥーの山頂フィニッシュのステージで優勝します。やはり過酷なステージでは彼のタフさが光るようです。

 

その後も逃げまくり、TVに無表情なデヘントの姿が映りまくりました。

連日逃げまくるデヘントについて、解説の方は、スカイのアシストと同じくらい疲れているはずとおっしゃていました。スカイのアシストは、フルームが総合首位なので、毎日メイン集団を牽引していますが、デヘントも少ない確率の逃げ切りを目指して、逃げまくり、疲労は想像を絶するものだったと思います。

 

 トーマス・デヘントの脚質は・・・?

 

ところで、逃げのスペシャリスト、トーマス・デヘントはどんな脚質なのでしょうか。

逃げのスペシャリストとして重要な独走力があります。TTも速いです。

登りも得意です。

クライマーよりのルーラー?オールラウンダー?

 

なんでもそつなく出来てしまうため、見極めずらいのかもしれません。

チクリッシモの選手名鑑では、ジロ総合3位後ではオールラウンダーを意味する『A』のマークが付いています。翌年の選手名鑑ではパンチャーの『P』のマークです。

最新の2017年版では、まさかの『S』。スプリンター。これは何かの間違いではないかと疑ってしまいます。何が何でもスプリンターではないでしょう。wikipediaでは、クライマー、オールラウンダー。

 

これだけ定まらない選手は珍しいですね・・・

 

 

 

 

 

新城幸也と飯島美和と飯島誠の関係性

世界で活躍する新城幸也選手。飯島美和さんという婚約者がいます。その飯島美和さんですが、以前はある人と結婚していました。

ある人とは、あの飯島誠さんです。飯島美和さんもそのときの名字のまま活動されているそうです。

 

Jスポーツで関係性が分かる場面が・・・

 

サイクルロードレースファンにはお馴染みのJスポーツ。長年グランツールも放送してきましたが、今年2017年はダゾーンに放送権を奪われたのか、ジロを放送しませんでした・・・

ですが、ただでは終わらないのがJスポーツ。放送できなかった「ジロ・デ・イタリア」に代わって「アリタイ・デ・ロジ」を放送しました。Jスポーツの経験豊富な実況解説陣がジロを振り返っていく番組です。もちろんジロの映像はありませんでしたが、なかなか面白かったです。その解説陣の中に、みなさんお馴染みの飯島誠さんもいました。

その番組の中で、イタリアにいるサイクルフォトグラファーの辻さんとスカイプで会話する場面がありました。実況解説陣のいるスタジオと、現地イタリアにいる辻さんの映像が画面で半々で映し出されました。

そんな中で、辻さんは、今プレスセンターにいます。と周りの状況を映します。そして、飯島美和さんがいます。と飯島美和さんも映します。

 

するとスタジオでは、飯島誠さんにやにやにながら微妙な表情を浮かべます。

辻さんも気がついたのか、パッと他の所を映しました。

少し、不自然さを残し、映像は元の実況解説陣のいるスタジオへ。

すると、宮澤崇史さんが、「僕は飯島さんの顔が印象的でした」と嬉しそうにいじりに行きます。

飯島誠さんも「懐かしい人がいたな」と言い、笑いに包まれました。

大会運営で疲れはて、放送中にウトウトしていた栗村さんも、面白さのあまり完全に起床。「コーヒーより効いた」と言っていました。

ワレン・バルギルはグランツールに勝つ選手になるのか。

フランスの期待を背負う若者

 

ツール・ド・フランス

自転車選手なら誰もが夢見る世界最高のレースです。

世界中にロードレースの選手はいますが、出場できるのは200人ほど。

世界のトップ200人が、このレースにコンディションを合わせ参戦します。

 

そんなフランスを代表するレースですが、フランス人の総合優勝者が長らく誕生していません。最後のフランス人総合優勝者は、あのベルナール・イノーです。

1985年にイノーが5回目の優勝をしてから、30年ほどフランス人総合優勝者が生まれていないのです。

そんな状況のフランスの期待を背負う天才がいます。ワレン・バルギルです。

 

驚異の3賞受賞

ご存知の方も多いと思いますが、ツール・ド・ラヴニールという大会があります。

U23ツール・ド・フランスと言われ、若手の登竜門的なレースです。

ツール・ド・ラヴニールで活躍した選手は、その後のプロの世界でもやはり活躍します。未来のスターが見つかるレースということです。

 

2012年のツール・ド・ラヴニールで総合優勝したのが、フランスのワレン・バルギルです。全6ステージで行われたこのステージレースで、バルギルは第4ステージで優勝し、総合トップに躍り出ます。そのまま、トップを守り抜いたわけです。

しかし、ワレン・バルギル得たのはマイヨ・ジョーヌだけではないのです。

なんと山岳賞とポイント賞も最終ステージでとってしまいました。

一つのジャージを着ることでさえ、たいへん難しいことでしょう。

まさに天才ライダーです。フランス自転車愛好家の誰もが、ワレン・バルギルの明るい未来を思い描いたはずです。

 

ラヴニール先輩勝者は輝かしい戦績。

ワレン・バルギルは2012年のツール・ド・ラヴニールの総合優勝者です。その後はどのような勝ち方をするのでしょうか。

 

成功した例としては、ナイロ・キンタナが挙げられます。

2010年のラヴニール勝者がキンタナです。キンタナはその後、着々と勝利を重ねます。

そして2013年にツール・ド・フランスの総合2位にまで到達しています。その後の活躍は凄まじく、ジロとブエルタで総合優勝。

ラヴニールに勝ってから3年ほどでグランツールで総合争いをするまでになっています。

そして、2011年のラヴニール勝者はエステバン・チャベスです。

チャベスも順調に勝利を重ね、2015年のブエルタで総合5位になっています。

そして2016年はジロ総合2位、ブエルタ総合3位です。特にジロは優勝しかけました。

 

バルギルも2013年に早々にブエルタではステージ勝利は手に入れました。総合でも、2014年のブエルタ総合8位など、しっかりと成績は残しています。しかし、総合優勝争いをするには、もう一段階強くなる必要がありそうです。

2010年、2011年のラヴニール勝者がブレイクした今、次はワレン・バルギルがブレイクする番かもしれません。

 

待たれるツール・ド・フランスでの活躍

 

フランス人のワレン・バルギル。やはり、なんといってもツールでの活躍が期待されます。フランス人ファンもフランス人による総合優勝を渇望しているはずです。

 

ワレン・バルギルのツール初出場は2015年。

そして、初出場で総合14位です。やはりその潜在能力の高さを見せつけました。

翌2016年は23位と後退しています。

同国のひとつ年上のロメン・バルデとティボー・ピノはツールで総合表彰台に立ちました。バルギルもまずは、その域に到達したいところです。